2006-12-10

光定位運動

黒岩常祥の「ミトコンドリアはどこからきたか」を読んでいると、葉緑体が行う光定位運動に関する記述がある。葉緑体は光が弱いと細胞内のどの細胞内小器官よりも細胞表層に近くなるように移動運動をする。また、光が強いと自身が方向転換をし、最も効率よく光合成をするように位置を変えるそうだ。1999年にはわが国で定位運動の研究により、葉緑体はアクチンケーブルを使い、ミオシンの手助けで運動していることが突き止められているそうだ。
色素体を持った真核植物は基本的に光があれば独立栄養であり、動く必要がない。色素体の持つ機能は植物細胞の生存に必須ということがあきらかになってきているらしい。

2006-11-01

排除の傾向

人のもつ他人排除の傾向は、なら転び八起きさんのBLOGに書かれた「アリアドネからの糸」の下記のくだりにみごとに記述されている。
「社会も精神医学も自戒するべきは、傷ついた人に向かうに当たって、それ以前の性格や素行や生活態度、あるいは外傷後の精神医学的以上のほうを、外傷後症候群より優先させてしまいがちなことである。すなわち、犠牲者をもう一度犠牲者として社会から排除しがちなことである。これは一部は人間が理由づけを行うことや因果関係を求めることで安心する動物であることからくる。われわれは理不尽に直面する勇気が必要である、それが人為的なものであっても、そうでなくても。われわれには自分がみたくないものを社会から排除する自然的傾向がある。」(中井『アリアドネからの糸』みすず書房、1997年、161頁)
理不尽に直面する勇気を持つことが真のやさしさといえるだろう。
そういえば、現在東大総長をしている小宮山さんによると、学生には毎年
①本質を捉える知
②他者を感ずる力
③先頭に立つ勇気
の3点を要求しているそうだが、これなども真のやさしさが履き違えられている世の中への警鐘であろう。

2006-09-24

色に関する不思議はゲーテの予想を超えてきているのではないだろうか。
35億年前にたった一度だけ生じた二つのカタラーゼの結合という偶然は、環境条件に対する耐性をもたらし、シアノバクテリアを今日まで生存せしめた。そして全ての生物、LUCAの子孫を光合成のシステムの下にこの青い地球上に繁栄させるもとになったというのだ。われわれ人類をはじめとする動物のもつ血液の中にもその環境条件に関する耐性は受け継がれている。その耐性のもとは色素であり、紫外線、放射線の厳しい環境をくぐりぬけた歴史が解明されてきている。NICK LANEによる世界を構成する酸素という書物「生と死の自然史」は色の持つ不思議を解明していく過程でこれまでの科学の常識を覆し、古くからの言い伝えの中に真実があるということを改めて思い知らされる書物だ。

2006-08-10

テクスト

マークポスターの1990年に書かれた「情報様式論」では既に15年以上前に現在の事態を予告するかのような議論がなされていた。
Dominick LaCapraによる用語「テクスト性」はデリダが最もよく使う用語だそうだが、<「制度化された痕跡」一般のネットワーク>として記述されているらしい。デリダが「テクストの外」には何もないと書くとき、彼は単に書物の性質ではなく、「経験一般」の性質を指す用語として使っている。
マークポスターはこれらのテクストを転覆する試みであるデコンストラクションが、部分的には主体のさまざまな形態とコンピュータエクリチユールとの関係を明らかにするために有用であり、またこのデコンストラクションの能力がその現在の実践の限界を越えて分析の視野を広げるような一般性を与えてくれると論じている。
これは非常に微妙な議論だし、テクストの否定をテクストでは行えないという現実を見据えた話だ。テクストで育った私の世代ではある一瞬、テクストの現前を当然視していた自分を否定する鏡像をコンピュータのモニターに発見してぞっとしたという経験が必ずあるはずだというわけだ。

2006-05-20

重力と加速の力

重力に従った自由落下の結果、重力場は無いのと同じといえる。これははたしてそうなのか。内井惣七の「空間の謎、時間の謎」を読んでいてバーバーの発見と書かれている次の話に素朴な疑問を持った。
以下はその引用。「関係説による古典力学の再構成で明らかになったように、宇宙全体の運動を決める法則がわかれば、距離の測定によって時間がわかる。(中略)究極の時計は宇宙全体の運動だ。(中略)宇宙の運動は、プラトニアの測地線から決まり、プラトニアには時間軸がないのだから、結局理論的な時間は消去できる。」
距離の同一性から時間の同一性が出るということがバーバーの主張のようだ。
自由落下ということがどういうことか、あらためて考える必要がある。自由落下は運動か、時間に中立か。わからない。
もっとも素朴な疑問として同じ本に書かれていること「たった400年前の関が原の合戦の写真は存在しないが、200万年前のアンドロメダの写真は存在し、リアルタイムで見ることができる。」過去は過ぎ去って存在しないということの意味を考える必要がある。
日本では柳田国男が空間を手がかりにして時間を考えようとしていた。福田アジオの意見にも耳を傾けたい。

2006-04-18

かたる

カタルという語の意味について大野晋の考えでは平安時代に4つの使い方があった。
1、内密のことを、秘密を相手に打ち明ける。
2、相手の知らない状態、内情を報せる。
3、事柄の成り行きを、順を追って話す。
4、作為的な言葉を使う。
これらの分析はハイデガーがホメロスの表現にオデュッセウスの覆蔵性を見た記述を想起させる。
かたるという語の背後には人類の根本的な問題が存在している。

2006-04-02

天体観測で暗号鍵共有

天体観測で暗号鍵共有という特許はコメントにもあるとおり「何時何分何秒からの信号を使ってね、ってのを何らかの方法で共有せにゃならんので、結局公開鍵暗号にある程度依存することになるんでしょうね。」と私も思った。ところが、回答では「OTPの場合、「何時何分何秒からの信号を使ってね」に相当する情報は、公開しても安全性に影響しません。(乱数表自体は公開してはまずいですが)逆に、乱数表が公開された状態で、「何時何分何秒からの信号を使ってね」に相当する情報を隠しても、通常は、簡単にクラック可能ですね。」ですと。
しかし、乱数表の情報源である天体観測データの基準が公開されても安全性に影響しないというところに矛盾が潜んでいる気がします。よくわからない。

2006-03-26

息の長いHTML

息の長いHTMLという考え方に改めて神崎さんの思考の鋭さを垣間見ました。W3Cにかかわっている人は当然このような考え方をベースに活動をしておられるのでしょうが、素人の私などには非常に新鮮で時間を超える仕組みはなにが必要かを改めて考えさせられました。
これは、つまるところグーテンベルク以来の文字資産(画像も含めて記述されたもの)は普遍性のある規準に乗せないと時間の試練に耐えられないということを言っておられると思います。
一方、DNAのアナロジーで「歴史の事実」というものは存在せず、あるのは現在における解釈(過去の解釈)の積み重ねだという考え方へ歴史哲学はシフトしていっているようにも思われます。この2つの考え方の折り合いがインターネットの世界では非常に重要になってきているという思いを改めていだきました。
同様の問題は結城さんの昨日のBLOGで「でもC.S.ルイスはそれを書かない。書いてしまったら、その物語を制約してしまうから。それと同じように、私たちのこの世の歴史全体が表紙に過ぎないような物語が、私たちの人生の先にある。」と書かれています。一方では書こうとしている、一方では書くことを拒否している。究極の矛盾と思えます。
私の理解は現在という瞬間だけで消え去ってしまうということで(口頭でその場限りで)よいのではないかということです。

2006-03-05

梅の花(大阪城梅林)
今日は穏やかな日和で大阪城の梅林を見にいきました。大変な人出でのそのそと進みながらやっと写真をとりました。
知人に出会ったりして楽しい1日でした。